さて、今回は電力自由化への対応にあたった当時のお話をさせていただきます。
東京電力に入社した後、板橋支社に配属となった私は、料金課と営業課の仕事を担当することになりました。料金課では、自動計算で算出できないイレギュラーな電気料金の計算や、請求書の送付など事務作業を行っていました。営業課は、主に業務用のビルや建物から承った電気のお申し込みを審査し、契約をまとめるのが主な仕事です。一般的ないわゆる「営業」といった仕事のイメージとは少し異なるかもしれません。
その後、1997年に本社への異動が決まり、企画部調査課に配属されることになりました。前々回の記事でお話した「需要想定」という仕事を担当したのがこの時代です。
記事の後半でも少しだけ触れていましたが、この頃、電力自由化への協議がすでに始まっていました。需要想定を担当していたチームの一員だった私は、電力自由化を前提に、東京電力はいかなる経営を行うべきか、自由化はどういうシステムであるべきかといった分析を取り纏める担当として、来るべき電力の自由化時代に最前線で向き合っていました。
これまで東京電力が行なっていた営業は、電気のお申し込みを受けることでした。いわゆる「待ち」の営業です。しかしながら、電力の自由化が開始されれば新規参入する企業は「攻め」の営業を徹底的に行ってくることが容易に想定できました。
そうなれば、勝敗は明確。
需要想定の仕事を通して、会社の将来に不安を感じた瞬間でした。
従業員が一丸となって、会社全体の風土に変化を起こさなければいけないー私はそう強く感じました。
電力の自由化は、いわば変革期です。電力を安定してお客様に供給していくためにも、その電力をお届けする多くの従業員のためにも、新たなマインドで取り組んでいかなければならない重要課題でした。
そんなとき、当時の上司から「東京電力労働組合へ行ってきなさい」と打診がありました。「今、会社に何が起きようとしているのか。どんな課題があって、どんな議論をしているのか、現場に行ってきなさい。きっと勉強になるはずだから」と声をかけてくれたのです。
2000年私は東京電力労働組合本店総支部の執行委員に就任することになりました。
その後それほど時間を必要とせずに、実際に現場で起きていることを見て、聞いて、感じて、愕然としてしまったのを覚えています。
電力自由化の波に乗れなければ、いや、電力自由化で新規参入してくる競合企業にしっかりと対応ができなければ会社が傾いてしまうかもしれないため、従業員にとっても他人事ではありませんでした。
しかしながらこれほど大事な局面に立たされているにも関わらず、現場と危機感を共有できていなかったのです。
「まずい、どうにかして変えなければならない」という一心で現場の会議が開催される度に手を挙げ、これから東京電力と関係する人たちみんなに起きるであろうことについて発言を続けました。
人の気持ちを動かすためには大切なことは、その人の気持ちに寄り添い、もっと理解しなければなりませんでした(卓球と同じですね!)「現場のみんなの考えをもっともっと知ることができれば、みんなも一緒に変わっていってくれるかもしれない」と考えた私は、執行委員に就任した翌年から現在に至るまで、専従役員として約20年間の労働組合活動に取り組むことになりました。
異なる考えを持っている人たち同士が「対立」ではなく「対話」を続けていくことで未来へ共に向かっていくことの重要性を認識し、実行してきた労働組合での仕事は私にとっての大切な原点です。
これからも現場の皆さまの多くの声が必要です。
活動報告については、こちらからご覧ください!
https://hitoshi-takezume.com/activities/